44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。

大腸癌と診断されて分かった僕の内面的なことと2%の残念な気持ちの正体【がん闘病記05】

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の6月初旬ごろに書いたメモをまとめています。

喉もと過ぎればあつかましい僕

2016年6月。

昨日までの総合病院での様々な検査の結果、今のところ大腸の他に癌の転移は見当たらないと分かって、気持ち的にはかなり穏やかになった。

検査の結果がポジティブなものだと分かるまでは、もしも自分の実際の病状が深刻なものであるならば「癌の進行が進んで最悪な状況になることを覚悟しなければならない」とは思っていた。

大腸がんだと診断される以前の僕 

癌が発覚する以前の僕はこう思っていた。

『自分が過ごしていく人生は様々な不満などはあるものの、これまでと同様に基本的には平穏に安穏と過ぎていくもの』だと。

大きな病気やケガもせず、当然のように自分も日本人男性の平均余命である80歳前後くらいの年齢までは元気で生きられると勝手に思い込んでいた。 

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今考えると厚かましい考え。 

以前の僕は自分の身体のことは真剣に大事にせず、身体に悪いとは知りながらも自分の快楽や欲求を満たすために酒やタバコは平気でのんでいた。

そればかりか酒やタバコが身体に及ぼす悪影響から自分だけは逃れられる、影響は受けない。受けたとしてもそれはほんの軽微なもの。くらいに厚かましくも思っていた。 

癌が見つかったことによる変化

それが癌が見つかることによって一変した。

完全に破壊された。

「余命○○年」

「五年内生存率○○%」

「抗がん剤治療」

「放射線治療」

「癌細胞の転移」

「がんステージ、進行度」

このようなワードがどんどん頭に入ってきて実感できる自分の命が、寿命が、どんどん狭められていくように感じていた。

 

あと何年生きられる?

それともあと何か月?

 

抗がん剤治療で抜け落ちる髪の毛。

生気を失い土気色になってやせ細っていく身体。

 

僕の葬儀が執り行われる斎場の中、祭壇の前に立てられた僕の遺影の前で焼香し、手を合わせる喪服を着た人たち。 

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そんなシーンばかりを想像してしまう。

だがしてしまうがゆえに自分の「生」がありありと現実味を帯びてくることも確かだ。

これは癌が発覚する前には分からなかった感覚。

僕は自分の「生」を、命を実感できないままにこれまで生きてきた。

そちらを向こうともしなかった。

癌は僕に命を実感することを教えてくれた偉大な先生であり、きっかけだのひとつだ。

この人生は僕の人生であり、この命は僕の命だ。

こんな当たり前のことが今までまるで分からなかった。

 

見ようともしなかった。

 

ただ当たり前のように流れ過ぎていく人生のなかで、ちょっとでも立ち止まって考えようとも感じようともしなかった感覚、考え。

これからは僕の人生を、僕がなりたい人生を、僕が生きたい人生を生きていくと決めた。

 

有限であると分かることによって輝く命もあるはずだ。

 

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しかし、病状がそれほど深刻でないことが分かり、命の危険の度合いが下がったところで今度は別の考えが頭をもたげてくる。

これまでは

「あ~死ぬのはイヤだな~」

だったのが

「あ~手術はメンドくさいな~」

に変わった。

ホント、人間てあつかましくできてる。

 

被害者でいることのメリットとは

昨日の検査結果を聞いて担当のウエノ先生から

「癌は今のところ局所的に留まっているようなので、外科的手術で取り切れば大丈夫でしょう」

みたいな言葉を聞いた後に嬉しい気持ちと同時に浮かんできた、ほんの小さな「残念な気持ち」について考えてみようと思う。

 

 

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2%の残念な気持ち

ウエノ先生のこの言葉を聞いて、この癌が僕の命を奪う可能性が低くなったことを知り、正直ホッとした。

でもその安堵感は100%ではなく、98%くらいで残りの2%くらいは残念な気持ちだった。 

2%の残念な気持ち。 

これはどういうことか僕なりに考えてみた。

癌で自分の命がなくなる可能性が低くなったと分かったと同時に、僕は「被害者でいることのメリット」が無くなってしまうと感じたのではないかと推測する。

 

癌と告知されて、僕は自分でも気づかないうちに「被害者でいることのメリット」を享受し、そのことに期待もしていた。

被害者でいることのメリットとは

「被害者でいることのメリット」とは何か?

そもそもここでいう「被害者」とは誰か?

癌に命を奪われてしまう哀れな癌患者である僕自身のことをここではさす。

なぜ被害者でいようとしたのか?

「癌という死に至る病理の被害者」であると自分を位置づけることで心のバランスを保とうとしていた。

死の恐怖、その混乱からなんとか立ち直ろうとしていた。

そして被害者でいることによって、どのようなメリットがあるのか?

 

被害者でいれば…

  • 人々の注目を集めることができる。
  • 人々の同情を得られる。
  • あきらめることができる。
  • 心のバランスが取れたように感じる。
  • ネガティブな事柄への理由付けができる。

人はネガティブなことが起こると混乱し、その混乱から立ち直ろうとするためにネガティブな事柄の理由付けをすることで心のバランスを保とうとする。

自分は被害者だからネガティブなことが起こった。もしくはネガティブなことを受け取るには自分は被害者でなくてはならない。

そういう風に理由付けして心のバランスを保とうとする。

 

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自分の気持ちを正直に白状してしまうと… 

僕のことについて正直に白状してしまえば、

「僕はかわいそうな癌患者だ」

「癌患者である僕って、かわいそうでしょ?」

「そんなかわいそうな僕を見てよ、同情してよ!」

そんなことを心の奥底のほうで思っていたのではないか? 

癌が僕の命を奪うことによって僕は悲劇の主人公として皆に注目してもらえる。

そんな感情が少なからずあったのだと思うし、そう思うことで心のバランスを取ろうとしていたのではないかと思う。

 

まったく女々しくて情けないことだと思う。

僕は自分のいのちが終わってしまうかもしれないということが怖くて怖くてとても混乱していた。

認めなくてはならない。

この「ほんの少しの残念な気持ち」も自分自身の感情だということを。

僕はぜんぜん強くなくて、こんなにも弱くて女々しい人間だったということを。

 

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その弱さを認めて

立ち上がって

癌と向き合わないといけない。

 

目をそらさずに。