44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。

退院してただ一人で泣く【がん闘病記20】

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の6月下旬ごろに書いたメモをまとめています。

退院する

2016年6月。

手術から13日経過し、今日退院することになった。 

時刻は正午をまわり、病室でしばらく待っていると母が迎えに来てくれた。

「お、もうだいぶ片づいてるね」

母が来るのを待っている間、少しづつ片づけてはいた。

もう少しで終わりそうだ。

高額医療費制度のお陰で入院費は10万円以下に

荷物をまとめ終わったので、いったん1階の清算窓口まで降りて入院費を支払った。

入院費については大腸癌の手術ということもあり、かなりの高額になりそうだということはあらかじめ予想できていたので事前に『高額医療費制度』の事前申請をしておいた。

そのおかげもあってか、手術費を含めた入院費総額は10万円以下で済んだ。

事前申請のやり方は各自治体で異なるかもしれないが、僕の場合は最寄りの役所で手続きを済ませておいた。

次の抗がん剤での入院までしばしの退院

入院費を支払った後はもう一度病室に戻って同室の他の入院患者の皆さんに今日で帰ることを伝えた。

同室の患者さんたちはどちらかというと皆症状が重いほうなのであまり話をすることはなかったけど、「そりゃあよかったねえ」と喜んでくれていた。

そして、荷物を持ち病室を後にしてナースステーションに声をかけて退院する。

担当のゴトウ看護師さんには帰る前にもう一度お礼を言いたかったが、他の業務にかかっているのかナースステーションにその姿はなかった。

お礼を言えなかったのは残念だったが、もうこれっきりで当分来なくなるということはないし、抗がん剤治療ですぐまた入院することになるのでそのときにまた会うだろうと思い、他の看護師さんにお礼とお別れを言って病院を後にして母の運転で自宅まで向かう。

f:id:yo_kmr:20180716170401j:plain

 

帰宅。ただ一人で泣く

自宅に着くと「ほっとする」とか「懐かしい気持ち」というよりは「悲しい気持ち」になっている自分がいることに気付く。 

この家に居られるのもあとわずかの時間。 

廊下の壁、台所の天井、居間の畳、それらに僕が触れていられるのには期限があることを思い知らされて、悲しみが冷たく僕を包む。

父の遺影の前に座り、退院の報告をする 

帰ってから最初に父の遺影の前に座る。

父は今年の初めに不慮の事故で急逝してしまった。

f:id:yo_kmr:20180716170419j:plain

お父さん、今帰ったよ。

僕の癌、ステージ4だって。もう助からないかもしれないよ…

写真の父は黙って微笑んでいる。

もうすぐそっちに行くかもしれないからね。

僕が行く先に父が待っていてくれると思うと少しだけ心強いと思える。

父に線香をあげて 一息ついた後は病院から持ち帰った荷物を片付けた。

 

生まれたばかりの甥っ子を抱っこしてウロウロする

そして今、自宅には嫁に出ていた妹が出産のため一時帰宅していて産後もしばらくはうちでのんびりしている。

ちなみに妹とは10歳以上歳が離れているので妹はまだ30代の前半くらい。 

生まれたばかりの甥のハル君は今、生後2ヵ月半くらいだ。 

久しぶりにハル君を抱っこして家じゅうを歩き回る。

この子と会話が出来るくらいまで生きていられるだろうか?

この子が僕のことを覚えていられるくらい大きくなるまで生きていられるだろうか?

そんなことを思いながら小さなハル君を抱っこして家じゅうを歩き回った。

このかわいい小さな命に触れているだけで幾分気持ちが癒される気がする。救われる気がする。

一人の車内で泣く 

そうこうしているうちに時刻はお昼時。

今家に居るのは僕と母と妹。お昼ごはんどうしようか?って話になり、僕は退院して食事の制限がなかったら食べたいと思っていたモスバーガーを買いに行くことにした。

すると妹も食べたいというので2人分を電話で注文してから車で最寄りのモスバーガーまで取りに行くことに。

「私が買ってこようか?」と妹が言ってくれたけど久しぶりに病院から出たし、気晴らしにもなるだろうから自分で取りに行くよと、1人車に乗ってモスバーガーへ向かう。

運転中、車内では懐かしい「安全地帯」の曲がカーステレオから流れていた。

何の気なしに流れてくるメロディに沿ってその歌を口ずさむ。

 

なぜだか僕は泣いていた。

一人、車の中で安全地帯の歌を口ずさみながら泣いていた。

止まらなかった。

とめどなく流れる涙そのままに僕は車内でひとりそのメロディを口ずさみながら車を走らせた。

f:id:yo_kmr:20180716170435j:plain

 

家族会議

昼食を食べ終え、一息ついてると弟がいったん仕事を抜け出してやってきた。

皆が居間に集まって、なんとなく家族4人全員での話し合いが始まっていた。f:id:yo_kmr:20180716172400j:plain

「で、結局どうなの?深刻な状況なの?」

腰を下ろしてすぐ、弟が神妙な面持ちで尋ねる。

 

「うーん、深刻というか癌の進行度で言うと4段階の4番目。ステージ4だからね…」

と、先日先生に告知されたことをそのまま伝えた。

 

「えっ、余命宣告とかされたの?」

驚いた表情で身体を少し前のめりにさせながら弟が尋ねる。

 

「いや、なんかいざとなると怖くてそんなこと聞けなかった」

実際にそうだ。

ステージ4という告知を受けてこれほどまでに動揺しているのに余命宣告までされたらどうなっているか想像もつかない。

 

「これからどういう治療を?やっぱり抗がん剤治療?」

「うん、これから2週間ごとに入院して抗がん剤治療を受ける。それが全部で12回の予定なんだけど、お医者さんの話では12回では済まないかもしれないって言ってた」

 

隣で会話を聞いていた妹が

「まあ、お金はかかるかもしれないけど他の治療法も見つかるかもしれないし、とにかく病気に負けないようにしないと」

と、励ますように言う。

 

すると母が、

「あんたには生きていてもらわないと私が困るんだよ、この家でたった一人きりになったらどうすればいいか分からないよ…」

目尻にたまった涙をバレないようにさりげなくぬぐいながら言う。f:id:yo_kmr:20180716170517j:plain

「とにかく癌に負けないようにしっかり戦っていかないと」

自らを鼓舞するように両腕をぶんぶん振りながら、励まそうとする母。

(この時は知らなかったが母は手術直後にウエノ先生から僕の病状についての話を既に聞いていたらしい。僕の余命に関することも)

 

そんな母を見て、

(ごめんよ母さん。親不孝するかもしれない…)

その時口には出さなかったけど僕は心の中で母にそう返答した。

 

それからはしばらく家の雑務のこととか、がん保険のことなど話したあと、弟が立ち上がりながら

「じゃあ、俺仕事に戻るから。養生はしないといけないけど、なるべく生活リズムが狂わないように気を付けないとね」

 

「ああ、わかってるよ。来てくれてありがとう」

 

「なんかアニキに『ありがとう』なんて言われるとなんだか気持ち悪いな」

笑いながらそう言うと弟は仕事に戻っていった。

 

これから保険会社に連絡をとったり、父が亡くなってからほったらかしだったもろもろの手続きもやらないといけない。

やることはたくさんあるけど今日はもう休もう。

 

明日また頑張ればいいや。

二週間ぶりに自分の部屋のベッドに身体を投げ出して、とりあえずは横になって休むことにした。