44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。

1クール目の抗がん剤治療での入院2日目。入院するメリット・デメリットとマイノリティとマジョリティ【がん闘病記33】

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の7月初旬ごろに書いたメモをまとめています。

抗がん剤治療を入院して受けるメリットとデメリット

2016年7月。

1クール目の抗がん剤治療が始まって2日目になる。

ここでいう1クールとは3日かけて抗がん剤を投薬し、その後11日間の休薬期間を置くまでのことを言う。 

抗がん剤の投与は入院して行っている。

一般病室の4人部屋に入っている。

点滴は機械(輸液ポンプ)を通してあらかじめ設定した量を設定した時間をかけてゆっくりと投薬されている。

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夜中じゅう点滴をしていたが、今のところこれといって身体に変調は見られない。

気分の落ち込みもそんなにひどいものでもない、どちらかというとニュートラルに近い状態?いや、良い方かもしれない。

 

金銭面で享受できるメリット

ということでこの気分と抗がん剤治療での入院生活との関係について考えてみた。

担当医のウエノ先生の話によると、この抗がん剤治療は外来もしくは自宅でも可能ということだった。

でも、どちらかというと僕にとっては入院した方がメリットが大きい。

というのも現在加入している生命保険とがん保険から入院給付金が日額でいくらか給付されるし、看護師さんのケアも受けられるのと、万が一何かあったときは病院内にいる方がスグに対応出来て安心だという点があげられる。

以上の理由から入院して抗がん剤治療を受けることにした。

まあ、一番の理由は生命保険とがん保険の入院給付金。

お金目当てといえば聞こえは悪いかも知れないがそれが本音のところだ。

 

精神的な面で享受できるメリット

それと前回の入院(大腸がんの外科的手術)から約2週間後に入院してみて感じたのだけれど、上記に挙げたメリットの他にも精神的な面で享受できるメリットもあるのではないかと思う。 

僕が現在入院している総合病院は結構大きな病院だ。

当然のことながら右を見ても病人、左を見ても病人、病人病人また病人と圧倒的に病人、またはケガ人が多い。

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健康な人から見れば辛気臭い場所のように感じるかもしれない。

病院内に入った瞬間から感じる消毒液の匂いとそれにかすかに混じるアンモニアの匂いが辛気臭さを加速させるのかもしれない。

実際、健康な頃の僕は病院についてあまりいいイメージはなかった。

どちらかというとネガティブな要素の強いところ。

できれば行きたくないところ。

今でも病院に対するそのイメージは大きく変わることはない。

でも、ステージ4の大腸癌の癌患者になった今、僕自身が強いネガティブな存在になってしまったので僕よりも程度の軽い病気やケガで入院している人たちのことをそんなに深刻に見ることもなくなったのではないかと思う。

入院することで精神面で享受できるメリットとしてこの大きな病院でたくさんの患者さんと一緒にいることがひとつの安心感を生み出しているのではないかと思う。

マイノリティではなくマジョリティに属していられるがゆえに得られる安心感があるのではないかと思う。

マイノリティとマジョリティとは

ステージ4の癌患者となってから自宅にいるときの僕、病院に入院していないときの僕は完全にマイノリティ(少数派)だった。

家族はみんな健康、ご近所さんも健康、外で会う友達たちもおおむね健康。

もっと厳密に言うと僕以外の人たちは「がん患者ではない」グループでマジョリティ(多数派)だということ。

僕はそのグループからはじき出されてしまった。 

僕の人間関係周辺、友人知人ちょっとした知り合いに至るまで僕以外では癌患者は一人もいない。

「ついこないだまで癌患者だったよ」っていう人もいない。

おそらくは過去にはいたんだろうけど亡くなってしまっている。

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僕だけが癌患者。

 

ひとりでさみしく癌患者している。

一緒にいながら住んでる世界が違う。

僕の世界は自身の「死」が間近に見えている世界。

健康なみんなの世界は自身の「死」が遥か遠くにある世界。

僕は自らの「死」もしくは「癌からくる身体的トラブル」をすぐそばで感じながらひとりでさみしく癌患者をしている。

そういう孤独感、もしくは疎外感のようなものを少なからず感じていたんだと思う。

 

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ところが病人・ケガ人がひしめくこの大きな病院に入院してくると、僕はマジョリティ(多数派)になれる。

自らの「死」を間近に感じている人ばかりではないにしろ、程度の差はあれ身体に何かしらの問題を抱えている人たちばかりだ。

そう思うと少しは孤独感が和らいでいくような気がする。

 

病院内を歩くといろんな人たちとすれ違う。

点滴台を押しながら歩いている人、足にギプスを巻いて杖付きながら歩く人、車椅子に乗っている人。

不謹慎な言い方、あまり良い言い方ではないかもしれないが「僕だけじゃないんだ」と安心する。

加えてマイノリティ(少数派)である医師や看護師をはじめとする病院のスタッフたちは我々病人・ケガ人に対して理解があるし、サポートするための訓練や教育をしっかり受けている。

僕らのたのもしい味方でいてくれる。

これらの点が気分が落ち込まないでいられる要因のひとつなのかもしれない。

 

入院生活で感じるデメリット

もちろん入院生活にもデメリットはある。

自分の行動に制限がついたり、やることがなくって退屈だったり、家に居る時と違ってリラックスできない、勝手が違うなど様々あると思う。

でもそれらも工夫次第でいくらかは軽減できることだと思うし、牢獄に収監されているわけじゃない。

僕は今までいろんなケガや病気で何度も入退院を経験してるけど、その度に「入院かー、いやだなあ」って思ってきた。

今でも自ら進んで入院生活をしたいなんて思わないけど、それほど悪いもんでもないかなって思えてきた。

ステージ4の大腸癌という大病を患ったということもその考えのもとになっているのかもしれない。

今は「治療」を目的としてこの病院に入院しているが、この先症状の悪化に伴い「治療」ではなく「延命」もしくは「痛みの緩和」を目的とした施設に移ることになるのかもしれないから。

 

それと今まで入院を嫌がる意識の底には「被害者の意識」というものが少なからずあったんだと思う。

ケガをしている僕はかわいそうな被害者。

病気をしている僕はあわれな被害者。

「僕は同情されるべき被害者なのになぜ行動を制限されないといけないのか?」

そんなわがままで厚かましい心もちが僕の意識の奥底の方で横たわっていたんだと思う。

ケガも病気も元はと言えば自分から引き起こしたものだろうに、厚かましい。

 

今はどちらかというとそんな気持ちでいる。

 

抗がん剤治療1クール目最後の点滴の開始

時刻は夕方。17時15分。

今回の入院では最後になる抗がん剤の点滴が始まった。

この点滴はごく少量づつゆっくりと夜通し点滴することになっている。

終わるまで22時間くらいかかるらしい。

 

抗がん剤の点滴が始まってから自分自身の体調の経過を慎重に観察してみようと思っていたが、今のところ拍子抜けするくらいどうってことない。

1時間前くらいに少しだけ気分が悪いかな?

少しだけ吐き気があるかな?

と思ったけど「気のせい」レベルでの今の段階では何ともなくなった。

そうこうしてるうちに夕食が運ばれてきた。

ちょっとだけ食欲が落ちてる気がする。

とはいえ、嫌いなヒジキの酢の物を残しただけで他のメニューはほぼ食べきった。

副作用を自覚するようになるのはまだまだ先なのか?

それとも自分には副作用はあまり出ない、もしくは軽い方なのか?

できれば軽いほうがいいのだけど…

苦しいのはイヤだし楽しくない。

12クールのうちのまだ1回目も終わっていない今の段階では副作用云々言うことはまだ早すぎるのかもしれないが考えずにはいられない。

 

ゆっくりと落ちていく点滴の一滴一滴が僕の身体の中に何か苦々しいものを入れているような、そんな気持ちで落ちていく点滴を見ていた。

 

消灯後の静かな病室で点滴の落ちる音が耳をすませば聞こえるような、そんな気がしていた。

 

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